土俵を疑うのは楽じゃない。だけど続けているとただの石ころも光る

『既存の解決策で解決出来ない問題が生じてきたら、自分たちが立っている土俵の方を疑うべきだ。』

元外交官で国同士のシビアな交渉をまとめてきた佐藤優という人の言葉。

この考え方はとても思慮深いと思います。
我々は立っている土俵をあまりにも当たり前として受け入れて、その上で解決策を探しています。

■土俵を疑う例

・やり方が悪いからただす教育を考える
 →じゃなくて、そもそもミスを許す事が出来ない仕掛けが悪いと疑う

・違反が減らないからチェックを増やす
 →じゃなくて、違反を生む環境が悪いと疑う

という感じ。

商談推進においても

「どー考えても解決方法思いつかないんだけど…と言うときは、商談の前提条件とか範囲とかの土俵を変えちゃう」

ってありますよね。

これも実は似たような話。

土俵を疑う事は経験値として既にある事が多いです。

ただ、
市場とか組織とか制度とかの、「もうちょっとベースとなる部分」については、疑う事は劇的にすくないです。

■所感

佐藤優さんの言葉は、このベースとなる部分を疑えというコトなんだと思います。
仕事の色んな事に対して

・こうやってやるべき
・やらなしゃーない

って思うこと多すぎる気がしませんか?

「ほんとにやるべきなの?」

「ほんとにやらなしゃーないの?」

「そもそも、そうさせてる原因を取り除く動き取っちゃだめなの?」

「原因取り除く動きなんて無駄って、あなたが諦めてるだけでしょ?」

そんな風に考えを巡らせ…
出来る事でよいので行動してると
ただの石ころが光ってくる。

そう思う今日この頃。

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昼間我慢して、夜酒を飲んで愚痴を言うのが正しいサラリーマン?昼も心の声と行動を一致させて楽しく生きるすべをIT会社営業の立場で挑戦してみてる人のコラム。

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