前回は「無理に飲ませる理由」の一考察を書きましたが、続いて
飲んでると、2件目3件目と続き、最終的に明け方まで飲もうとする人が一定量存在するのは何故かを考えてみました。
先日終電過ぎても帰ろうとしない人は
『思い出を作る機会を逃したくない』
との話をしてました。
「数年後も思い出となる夜としての記憶が残り、またいつかこのネタを肴に飲めたりするじゃないか!」という感覚(^^)
まぁ、本人も酔ってるのでただ飲みたくなってるだけかもしれませんが…(笑)
昼間に冷静にその理由を聞いても、こう言う答えが返って来る人が多い気がします。
予めことわっておくと、この考え方について全ての否定はしていないです。
私も飲みはしませんが最後まで楽しく参加もしてますし(^^)
でも、この考え方が作られるサラリーマン社会の構造について考察して見ました。
■資本主義は
資本家と労働者に別れており、労働者を働かせて資本家がお金を得る構図は絶対的です。
資本家目線から見ると、労働者は効率よく生産はして欲しいが、あまり深く考えて欲しくないです。
(雇い主の資本家にとって従順な動きにならなくなる為)
■日本の企業文化
日本では生産性の高い労働力を大量に作り出す仕組み作りに成功しており、小学校の教育から
「我慢の美徳」
「協調性の絶対正義」
が植え込まれながら、社会人になっていきます。
社会人では、上からの指示以外の動きについて考える事は無駄だとのマインドがセットされていきます。
(この仕掛けにした、昔の人は中々凄いですよね)
■労働者サイドの動き
そして、労働者側は、上の指示を聞くに当たり、どうしても仲間意識が必要となります。
考え過ぎて資本家の利益にならない動きが取られる事を否定してくる組織なので、みんな同質化して集まって仕事配分するのは構造上やむなしです。
当たり前の事です。
ただ、出世が絡んできて、仲間から外されたくないとか、仲間から外すぞとかの意識が一部で発生してきて、ネガティブ要素がでます。
■仲間意識の正体
「我慢の美徳」と
「協調性の絶対正義」
から生まれる、集団でいることの安心感。
ですよね。
でも私は思います。
何をするにしても仲間意識はすごく大事。
その発生する元の思想を
「挑戦の美徳」と
「助け合う事の絶対正義」
から生んで行きたい。
大企業の組織論は100年以上研究実践されてきていて、今の形があるのですが、大企業の中から小さな小さな穴をあけて行きたいです(^^)
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